しょち先生のプロフィール・これまでの失敗を全て暴露します【2021年版】

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しょち先生のプロフィール・これまでの失敗を全て暴露します【2021年版】

しょち先生の自己紹介のページをご覧いただきありがとうございます。

このページでは、私のこれまでの人生の失敗・挫折・成功・転落を全てお見せいたします。

 

感情的に行動し、過去の努力を台無しにする。

そんなありのままの私を、ご覧になりたい方だけ読んでください。

 

※この自己紹介ページは2021年版です。

※2020年版をご覧になりたい方は、以下の記事をご覧ください。

https://henomoto.com/profile-2020

 

もくじ!

高校時代の私は幸福でした。大学入学後の今から考えれば。

私は現在、地方の大学で医大生をしています。

2021年8月現在は情報発信やネットコンサル活動(HP制作や商品ページ制作)で月に約20万、ネット物販で月に約15万の利益を出しています。

 

ネット物販はほぼ放置の状態ですが、それでも月15万の利益は出してくれます。

※後述しますが私の物販の利益率は40%で、同業他社と比べて約二倍の利益率を保っています。

学業と並行しながらの副業なので、まあまあな成果だとは思います。

 

現在は情報発信やコンサルに労力を注いでいるため、物販の利益は少なくなってしまっています。

しかし、昨年の8月~9月はネット物販で月30万、物販のコンサルで月50万の利益を出していました。

※物販のコンサルは訳あって最近まで中止していました。その理由もこの記事でお話します。

 

今はおかげさまで、お金の心配はない生活を送ることができていると言えます。

少なくとも大学生の身からすれば、十分な金額を稼いでいると言えます。

 

しかし、こんな生活をずっと送っていたわけではありません。

大学入学直後から約4年間、私はお金の心配ばかりをしていました。

 

  • 毎日学校終わりにバイトをし、休日にもバイトをしているのに、月末にはお金が残っていない。
  • 生活費も抑え、余計な社交費も使っていないはずなのに、それなのにお金が残らない。

そんなお金の心配ばかりをする毎日を送っていました。

 

高校までの私は幸福だったと思います。

親は私の教育にだけはお金を使ってくれました。

お金の心配なんてしなくても、勉強だけをしていれば良かったのです。

 

もちろん1日10時間以上の勉強を続けることは、当時は苦痛でした。

どれだけ勉強しても成績が伸びないことに頭を悩ませ、全てから逃げることを考えた時期もありました。

しかし、そんな苦痛は大学入学後に私が経験する苦痛と比べれば、本当に幸福な苦痛だったと思います。

 

大学入学後は、親の方針で家賃と生活費は全て自分でやりくりすることになりました。

そして大学入学以降の私は、高校生活では感じることのなかった挫折と苦悩と、直面することになります。

ここからお話するのは何度も自分の努力を否定され、望むものを何一つ得られず、それでも抗い続けた、ちっぽけな一人の人間の物語です。

 

本当は、研究者になって新しい治療法の発見をしたかった。

2017年の4月、大学入学式が終わった翌週のことです。

その日は、入学式以降の学校生活のオリエンテーションが開催されていました。

 

オリエンテーションでは色々な冊子が配られましたが、私はある一つの冊子だけを読み込んでいました。

その冊子は学校内の研究室の紹介と教授の連絡先が記載されている冊子でした。

 

オリエンテーションが終わり家に帰宅してすぐ、私はその冊子を見ながら、ある研究室の教授に連絡をしました。

以下は実際のメールの文面です。

 

今から見返すと口の聞き方も知らない子供の文章です。

しかしこのメールが、私の人生を形成する重要なきっかけになりました。

 

メールを送信してすぐ、研究室の教授から返信がありました。

「見学していいよ」との内容でした。

そしてその3日後、私は研究室で見習いを始めることになりました。

 

そうです。

大学入学直後の私は、研究室で研究をし、祖母の命を奪った病気の治療法の発見を夢見ていたのです。

 

順風満帆な大学生活を送っていました。始めの頃は。

研究室での見学の直後から、私は研究室で見習いをすることになりました。

まずは指導をしてくださる助教授に教わって、研究器具の皿洗いから始めることになりました。

単純な作業から始めることになりましたが、自分の夢の第一歩を踏み出せたことに、非常に興奮していたことを覚えています。

 

さらに幸運なことに、私が連絡した研究室は学生の見習いにバイト料を支払ってくれていました。

学内でも最も期待と成果を出している研究室で、資金も潤沢にあったため、学生にも資金的な補助をしてださったのです。

1日2000円弱の支給でしたが、バイトと勉強を兼ね備えることができる、最高の環境に恵まれたと思っていました。

 

また、学校では少数の友人を作り、運動系の部活に入部しました。

学校の授業も簡単なものばかりで、少なくとも私の大学生活は順風満帆なスタートを切ったと思っていました。

金銭的な問題がやってくるまでは、の話ですが。

 

あれ?お金が足りない!

大学に入学し3ヶ月ほどたった時、あることに気が付きました。

毎月の口座残高がどんどん減っていくのです。

研究室でバイトをしてお金を稼いでいるはずなのに、どんどんお金が減っていくことに気がついたのです。

 

よくよく考えて見れば当たり前のことです。

1日2000円のお金を頂けたとしても、毎月最大6万弱のお金にしかなりません。

当時は毎日バイトをすることはほぼ不可能でしたので、毎月3万円ほどの金額を受け取っていました。

 

そこから

  • 家賃3.8万円(地方なので家賃は安めです)
  • 水道光熱費約8000円
  • 食費3万円(1日食費1000円で生活していました)
  • 交際費や部費、その他生活費

など引けば、お金はどんどん減っていくばかりです。

 

そして「あれ?お金が足りない!」と気がついた私は、そこからバイトに明け暮れる生活を送ることになります。

※奨学金を借りる手段もありましたが、当時の私は「借金なんてしたくない」という頭でっかちだったため、奨学金を借りることはしませんでした。

 

バイトに明け暮れる日々。でも、お金は貯まらない。

お金が減っていくことに気がついた私は、できる限りバイトを入れることにしました。

部活のない放課後は家庭教師をすることにし、研究活動は朝5時や夜11時から研究活動をすることにしました。

土日はできる限り日雇いのバイトをし、引っ越しやイベントの会場設営、イベントのスタッフなどのバイトを行うようにしていました。

 

でも、現実は思うようにお金が貯まりませんでした。

できる限り余計なものを買わないようにして、無駄なお金は使わないようにしていました。

 

それでも、全くといっていいほどお金が貯まらないのです。

毎月残る金額は、どれだけ節約をしたとしてもせいぜい3万円程度でした。

 

「何でだろう?こんなに放課後にバイトをしているのに、何でこんなにお金が貯まらないんだろう?」と必死に考えました。

そして私は、あることに気が付きました。

 

「このまま雇われているだけでは、一生お金が貯まらない状態が続く」ことに気が付いたのです。

今は大学生ですが、きっと将来の時給が上がったとしても、稼いだお金は子育てなどに全部吸い取られてしまうことに気が付いたのです。

 

さらに私は、もっと印象的な言葉を聞くことになります。

「家族のために身を粉にして働いてきた。でも、家族の時間を取らなかったせいで、今は家族に恨まれている。家では子供も嫁も口をきいてくれない」

 

ある飲み会で聞いた、大学病院で働く医師の言葉でした。

きっとこれが、飲み会でしか聞けない多くの医師の本音なのだと思います。

 

この言葉を聞いた後、私は

  • 自分でビジネスを起こさないといけない
  • 自分で起業しないと本当に大切なことを守れない

そんなことを思うようになりました。

 

そしてそんなことを思った私がまず始めたのは、ブログでした。

自分の受験の経験や今学んでいることをブログにすれば、何となく副業ができると思っていたのです。

 

でも、私のブログは非常に稚拙でした。

※以下のURLから私の昔のブログに飛ぶことができます。

https://syuyu.work

 

約1年間、毎日ブログの記事を投稿していました。

numbers of blog posts

※画像内には329記事と記載してありますが、固定ページも合わせると400記事以上投稿しました。

※1記事約2000文字だったので、ブログの記事だけでも約66万文字を書いたことになります。

 

以下の写真は私が毎朝ブログ記事を執筆していた学校の研究室の部屋の様子です。

この場所で約1年間以上、ずっとブログ執筆を毎朝6時に学校に来て続けていました。

work place

 

また私はちょうど20歳の時に電子書籍も発行していました。

当時の私は、作家になりたかったのです。

Kindle

※ちなみにこの電子書籍は東京の出版社に持ち込み出版拒否されたものです。

※稚拙な内容ですし、今から思い返せば「なんでこんなもの出版したんだろう…」と思うばかりです笑

 

さらに、メルマガも発行していました。

「Benchmarkメール」というツールを利用して、ブログの内容を補強するようなメルマガも発行していました。

でも、40通以上のメルマガを発行した結果、売上は0円でした。

 

最後に、ブログの利益を出すために有料のテンプレートや情報商材、塾のようなものにお金を使っていました。

使った金額は50万を超えていたと思います。

 

1年間、バイトや研究を継続しながら、毎朝ブログの記事を投稿していました。

「アフィリエイトや自分の商品をどうにか販売できないか」

そんなことを思いながら、毎日報われない努力を続けていました。

 

しかしそれでも、ブログで利益を出すことはできませんでした。

どころか、サーバー代金さえ補えないような状態が続いていました。

 

ブログは駄目だ。ならYoutubeでも始めよう!

  • ブログ
  • Twitter
  • 電子書籍
  • アフィリエイト

そんな活動を大学2年生から3年生までの約1年間、必死に行っていました。

Twitterも1日10投稿以上していましたし、電子書籍も2冊出しました。

 

アフィリエイトのサイトを使って、紹介記事も書きました。

でも結局、バイトで稼いだ金額を溶かしていくだけになりました。

 

「ブログは駄目だ。ならYoutubeに力を入れよう。」

そんなことを思い、Youtubeの動画投稿を本格的に始めることにしました。

実はブログを始めた直後からYoutubeを初めていたのですが、本格的な動画投稿をしていなかったのです。

 

それから私は、Youtubeを本格的に投稿することになります。

youtube

私のYoutubeチャンネルには約108個の動画が投稿されています。

ほとんどが既に非公開で、今は動画編集に失敗した動画や実験的な動画を投稿するだけになっています。

 

一つの動画は約15分。

動画編集と撮影の時間を含めると、1つの動画に約3時間かけている計算になります。

 

合計約300時間。

これが私がYoutubeにかけた時間です。

しかし、稼いだ金額も、持った影響力も、チャンネル登録数も、ほぼゼロでした。

 

Youtubeの経験は後々の動画編集のバイトなどに活きてくるので無駄ではありませんでした。

でも、300時間という労力からすれば、本当に小さな、ほぼマイナスの成果でした。

 

Youtubeを初めると同時に、私はネットマーケティング会社でのバイトを初めました。

このネットマーケティング会社でのバイト経験は、後々のネットコンサルとしての活動に活きてきます。

 

いくら研究をしても、自分の能力の限界を感じるだけでした。

何をしても稼げない。

そんな思いを抱えながら、気がつけば大学生活も約2年間が過ぎていました。

 

当時の私は、周囲の同級生と段々と話が合わなくなっていることに悩んでいました。

周囲の同級生はお金の悩みを抱えていない人が多く、私のような人間は少数派でした。

それに毎日ブログやバイトに時間を使っていたため、友人と遊びに行く時間も一気に減っていきました。

 

ちなみに部活は1年生の終わりに辞めていました。

部活にかかる時間と費用を、バイトとその他の活動に使いたかったからです。

 

「自分で稼ぐことはできないかもしれない。もう研究で挽回するしかない。」

そう思い、研究に力を入れるようになりました。

しかし、研究をすればするほど、自分の根気のなさ、思考力のなさ、英語力のなさ、読解力のなさが際立つようになりました。

 

研究をすればするほど、自分が研究者に向かないことが分かってしまう。

そんな状況に耐えながら、いや、涙を流しながら、バイトと研究を続けていました。

 

午前2時に家に帰宅し、起きてすぐ8時に学校に投稿する。

授業中はパソコンを使った動画編集のバイトをする。

放課後は家庭教師やアパレルショップでのバイトをする。

放課後のバイトが終われば深夜12時前に研究室に行く。

そして深夜の研究室で、目に涙を浮かべながら、たった一人で細胞培養をする。

 

そんな生活を、ひたすらに送っていました。

友人と話が合わず、唯一残された道でも報われることがない。

そんな私の心中は、今から思い返しても辛い記憶しかありません。

 

「報われない努力なんてない」

こんな綺麗事は、本気で努力をしたことがない人だけが言える言葉です。

 

そんな私の様子を見かねたのか、私の指導をしてくださった先生はある日、私にこんなことを言いました。

「研究者ではなくて、もっと違う道が合っていると思う」

と。

 

この言葉を言われたときの場面を、私は今でも鮮明に覚えています。

それほどまでに私が直視したくない、でも認めざるを得ない、そんな事実をはっきりと言われたのです。

 

でも、「君にはできる!」と言ってくれる上司よりも、「君には向いていない」と伝えてくれる上司こそ、本当に貴重な存在です。

才能がないことに努力をしても意味がない。

そんな事実を心底理解している人生の先輩から言われた、優しい言葉でした。

 

それ以降私は、研究の世界からは足を洗うことになります。

 

一応私の研究の成果として、医師向けの雑誌記事のようなものを執筆しています。

article

※研究室に迷惑がかかると駄目なので、モザイクをかけています。

 

結局私には新しい治療法を発見するような才能はなく、既存の知識をまとめ上げることしかできなかったのです。

そしてそのことを、私の上司ははっきりと見抜いていたのです。

 

色々なセミナーや講演会に行きました。でも、人脈なんてほとんど意味がありませんでした。

研究活動やネットで稼ぐことをほとんど諦めていた私は、これまで断ってきた色々なセミナーやイベント、講演会に参加することにしました。

「人脈を作れば、何かが変わるのではないか」という安易な発想でした。

 

大学3年生の4月には中国の「大連理工大学」という大学の交流会に参加しました。

中国と日本の大学から補助金が出たので、かかった費用は1週間以上滞在して約3万円でした。

 

中国の滞在の様子は以下の記事から見ることができます。

https://syuyu.work/when-going-to-dalian

この中国の留学で目にした中国人の凄さが、私を中国輸入に走らせた大きな要因でもあります。

 

そして大学3年生の6月以降は、日本全国のイベントやセミナーに参加していました。

  • 地方で開催される有名人を呼んだ講演会
  • いわゆる異業種交流会
  • 東京で開催された1日セミナー
  • 学生と企業人事の交流会
  • 大阪で開催された2日間のインターンシップ
  • 金沢で高校生を交えたイベント企画と運営
  • オンラインサロンに参加して意識が高い人と触れ合う

そんなことをしていました。

Osaka Internship

※大阪の2日間のインターンシップの様子です。

 

meeting

※学生と社会人の交流会に参加している私です。

 

event1

※プレゼンテーションの前準備をしている私です

 

とにかく色んなイベントに参加して、とにかく色んな知り合いを作ることを意識していました。

シェアハウスで色々な知り合いを作ることもしました。

 

でも、人脈を作っても私の収入が上がるとか、そんなことは一切ありませんでした。

凄い有名人と握手したからといって、収入や能力が上がるわけでもありません。

東京で開催されるセミナーに行って色々な人と話をしたとしても、稼ぐ力が身につくわけではありません。

 

その事実に気がついたのは、3年生の11月のことです。

ちょうど私が石川県が開催している「ISICO」と呼ばれる起業コンテストに落選した通知を受け取ったときです。

※起業コンテストには書類審査で落とされました。

 

  • 人脈を作っても意味がない。
  • 作家になろうとしてもなれない。
  • YoutubeやSNSで注目を集めることもできない。

そして私が今までやってきた努力が無駄になったことを認めざるを得なかった時、私は本当に気が狂いそうになりました。

 

  • 私は何をしても駄目なのかもしれない。
  • もうお金を稼ぐなんて無理かもしれない。
  • 諦めて大人しく医者として生きていけばいいじゃないか。
  • 医者という肩書きだけでも十分じゃないか。
  • 普通に生きていくというだけでも、十分じゃないか。

そんな諦めの気持ちが、当時の私を支配していました。

 

大学3年生の12月は、迷走してゲーム作りに没頭していました。

諦めの気持ちに支配された私は、現実逃避を兼ねてゲーム作りに没頭していました。

いわゆるノベルゲームで、小説を読み進めていくだけのものです。

1ヶ月間没頭し、とにかく自分が書いた小説をゲームにすることに集中していました。

 

novel game 1

※Androidのアプリストアにあります

 

novel game 2

※意外と高評価ですね笑

 

このゲームを作り終えたのは、ちょうど年末の頃でした。

ゲームを作り終えた直後は、私が何かを作り上げたことに興奮を感じていました。

 

でも年があけ、冷静になってみると、「自分は何をやっているんだろう…」という気持ちが強くなりました。

「ゲームなんか作っても、何も意味はない」

ゲームを作り終えた後、私の自己嫌悪はどんどん激しくなってしまいました。

 

学校の講義中はずっと講義室の中でフードを被り、スマホで動画を見ていました。

講義室を抜け出し、家で泣いていたこともありました。

講義室で隣の席の人と話すことさえしませんでした。

 

「消えてしまいたい」

当時の私には、そんな思いが確実にあったのだと思います。

 

「これで最後にしよう。これで失敗したら、普通の医者になろう。」

「あともう一回チャレンジすれば成功できるのに、多くの人はあともう一回のところで諦めてしまう」

私が家でふさぎ込んで寝込んでいるある時、唐突にこの言葉が頭に浮かびました。

 

※誰の言葉かは忘れてしまいました。

※おそらく本田健さん、望月俊孝さん、喜多川泰さん(全員作家です)の誰かの言葉だと思います。

 

  • 「そうだ、あともう一回だけやってみよう」
  • 「あともう一回だけやって、駄目なら普通の医者になろう」
  • 「もう一回だけやって、駄目なら周りと同じになろう」

そんな決意を持って、私は新しくビジネスを初める決意をしました。

何が私の決意を固めたのかは分かりません。

 

でも、

「あともう一回チャレンジすれば成功できるのに、多くの人はあともう一回のところで諦めてしまう」

この言葉が、私を動かしたことは確かです。

 

ネットだけで稼ぐのは難しい。だから物販をやってみよう。

幸いなことに、私の手元には78万円の貯金残高がありました。

バイトと研究室と日雇いの日々は、決して無駄ではなかったのです。

 

78万円のお金で新しくビジネスを起こそうと決意した私は、「手堅く稼げる」と言われている物販を始めることにしました。

約2週間をかけてメルカリ転売やAmazonでのOEM販売などを調べ上げましたが、私が選んだのは単なる輸入転売でした。

そして当時ネットで見つけた中で一番ハッキリものを言ってくれる、中国輸入の物販の先生を見つけ、その先生の直接指導を受けることにしました。

 

当時の指導の金額は半年間で88万円でした。

クレジットカードのキャッシング機能を使い、88万を現金で一括で振り込みました。

 

88万という金額は、私からすれば非常に大きな金額でした。

また、料金を支払ってしまえばもう手元には何も残らない状態です。

 

それでも私は払うことを選びました。

それほどまでに私は必死でしたし、最後のチャンスだと心底決意していたのです。

 

mail2

↑先生に送ったメールです。当時の私の決意を込めた心境が伝わると思います。

 

指導を受けてから半年はあっという間でした。

指導を受けることを決めてからの生活は、今までで一番密度が高い生活になりました。

私はこれまで以上に必死にバイトをし、バイトだけで月に25万稼ぎ、それを全て仕入れ費用に使いました。

※バイトでここまでの金額を稼ぐことができたのは、コロナで学校の授業が全てなくなったからです。

 

先生は半年間の行動計画と指導を徹底して行ってくれました。

そして私は1回の授業が終わると、10回以上教わったことを復習しました。

教わったことを、教わったこと以上にできるように意識しました。

 

バイトと睡眠の時間以外は全て物販のことを考えていました。

いや、バイト中も物販のことを考えていました。

医学の勉強中にも物販のことを考えていました。

 

土日はずっと商品リサーチをして、約3000商品を調べ上げました。

友人や家族、自分自身が買った商品を全て聞き込みし、リサーチしました。

バイト終わりに東急ハンズや雑貨屋に行って、主力を入れて販売している商品を調べ上げました。

 

そして私は、リサーチした商品の中で売れそうな商品を15商品仕入れることにしました。

結果、販売を開始して10日で10万円の売上を上げました。

10days

 

販売開始して二ヶ月目には73万1307円を売り上げました。

2months later

 

また、私は物販を初めて3ヶ月目にビジネス用のブログを立ち上げました。

※現在のブログの前身のブログで、URLは全く別のものです。

※立ち上げたブログは約3ヶ月後に、合計5件のコンサルを獲得することに繋がりました。

 

さらに、物販を初めて5ヶ月目には国民政策金融公庫から250万の融資を受けました。

物販ビジネスを加速させるための融資です。

融資の担当者からは「大学生で融資の相談に来たのは初めてです」と言われながら、そして私の売上の伸びに驚きながら、融資を通していただきました。

 

半年後の私は、月に80万を稼いでいました。

指導を受けた約半年度の9月には、物販とコンサル合計で月80万を稼いでいました。

今まで何をしても成果を出すことができなかったのに、成果を出すことができてホッとしました。

また、半年前の自分の決断を誇りに思えるようになりました。

 

しかしここから、また私の転落が始まります。

私が今まで人付き合いを避けてきたツケを、ここで払うことになります。

 

高圧的な人と付き合うのが嫌になりました

コンサルを5件獲得し、順風満帆に思えたあるとき、先生から以下のような言葉を言われるようになりました。

 

「コンサルを安売りするのはやめてくれ、俺の弟子のところにコンサルが来なくなるから」

「もうコンサルは終わったんだから、二度と質問するな」

「もういいよ、お前。もういい。」

 

そんな言葉をかけられて、私はもう彼と付き合うのが嫌になりました。

そしてビクビクしながら彼と付き合うことに、嫌気がさしました。

 

そして当時運営していたブログを消し、やり取りが残っていたTwitterを消し、全く違う道を歩もうと決意しました。

物販のコンサルもそれ以降は中止することにしました。

 

※本当はブログもTwitterも消す必要なんて全く無かったのですが、その時は感情的に行動してしまいました。

※今でもこの行動は反省しています。

※今思い返すと、これは私が自分の成長を優先して人付き合いを嫌ってきたツケ、人を見抜くことができなかった自己責任だと思います。

 

コンサルを中止した後の挑戦は、失敗ばかりでした。

コンサルは中止しましたが、物販は毎月利益を生んでくれました。

ヤフーショッピングだけでなく楽天にも出店することができ、楽天でもヤフーショッピングを超える売上を上げることができるようになりました。

 

それでも、順風満帆だったというわけではありません。

どちらかと言えば、トラブルが8割でした。

 

楽天への出店が予定の半年遅れる(理由はブログではかけませんので、音声でお伝えしています)

商品が中国の税関で没収される(輸入代行会社のミスです)

商品が日本に到着したのに、中国にとんぼ返りする(国際配送方法の選択のミスです)

商品が海で沈む(うん、、、、運が悪かった。)

中国の化粧品を販売しようとして日本の工場を数社めぐるも、結局無理だった(医師免許を取った後にまたチャレンジします)

中国人の下で働いている日本人弁護士から訴訟の脅しを受ける(情弱を狙った詐欺のようなものです)

不良品率が5割の商品を売ってしまう(1688の仕入先を誤りました)

仕入先工場が無断で商品仕様を変えたため、クレーム殺到(これはどうしようもないです)

輸入代行会社が商品のバーコードを間違えたため、クレーム殺到(これもどうしようもないです)

低価格帯の商品を狙ったために、意味の分からないクレームが集まってしまう(値段が低いと客層が悪くなり、意味のわからないクレームが多くなります)

 

きっと物販をしている方々の中でも、私ほどの失敗をしている人はほぼいないと思います(笑)

また、物販以外のことでも沢山の失敗をしてきました

 

バイオベンチャーの立ち上げに失敗

医学部の生徒を集めたサークルを立ち上げるも、運営に失敗

医学のビジネス分野の特許関係の仕事をしようとしたが、外部環境が悪くて失敗

 

物販はクレームが多く、もう店舗運営を辞めようと思ったこともあります。

物販以外の活動が全てうまく行かず、才能の無さを嘆いたこともあります。

でも、こんな失敗ばかりの私を励ましてくれたのは、私が物販を教えさせていただいた方でした。

 

感謝の言葉を受け取って、「自分の強みを掘り下げよう」と決意しました。

Skype_1

Skype_2

最後のコンサルが終了した後、私は上記のような感謝の言葉をいただきました。

※こんな言葉を下さるなんて、感謝しかありません。

 

この言葉を見て、私は決意できました。

「もっと自分の強みを掘り下げよう」

と。

 

私の強みは医学部に属していること、そしてマーケティングの知識があることです。

実はブログ運営をしていた時に、マーケティングの勉強を熱心にしていました。

 

ネットマーケティングの会社でバイトをした経験も、私のマーケティングの知識を増やしてくれていました。

日本一のマーケッターと呼ばれた神田昌典さんと、一対一で話したこともありました。

 

何より私は、マーケティングが好きでした。

海外から洋書を取り寄せて、海外のマーケティングを学ぶほどです。

ultimate sales machine

※正確には「ダイレクトレスポンスマーケティング」と呼ばれるものです。

 

だから私は、私が持っているマーケティングの知識を最大限に活かそうと決意したのです。

この決意をしたのは、2021年の5月のことです。

そして3ヶ月後の2021年の8月、私は以下のようなことが達成できています。

 

競合よりも1000円値上げして販売し、利益率の高い物販の方法を編みだす(値段を上げればクレームも減ります)

既に飽和している衰退商品を、1商品1000円以上の利益で販売する方法を編みだす(昔からあるありふれた商品も、私なら販売できます)

ECサイトのネットコンサルとして、知り合いの経営者のECサイトのコンサルをする(倫理法人会などで知り合って、悩みをお聞きすることから初めました)

マーケティングの知識を使って、WEBサイト構築やステップメールの構築の代行をする(これはマーケティングの知識がなければ難しいです)

 

私にとって何よりも良かったのは、クレームが減ったことです。

実際、ここ3ヶ月はクレームが一切ありません。

半年前のクレームだらけの時代を考えれば嘘のような変化ですし、本当にストレスなく物販ができています。

 

※低利益な物販なんて、中国人に任せれば良いと思いです。

※日本人の皆さんは中国人のマネなんてせず、高利益な物販をしてください。

 

もう一度、物販のコンサルを再開することを決意しました

これまでのマーケティングの知識を使い、利益率の高い物販の方法を編み出した後、私はもう一度物販のコンサルを再開することにしました。

今年の8月に入ってからのことです。

 

ただし前回のコンサル時の反省として、今回は全員に1対1のコンサルを提供することは辞めることにしました。

というのも、前回私が提供するコンサルを受けた方で、半年間ずっと何もしてこなかった方がいたからです。

 

本当に真剣な方だけのお相手をさせていただくために、今回は動画講座の提供から始めさせていただきます。

私に直接相談を頂いた方、もしくは動画講座を真剣に受けて頂いている方だけに、1対1のコンサルを提供させていただきます。

 

動画講座では半年、早くて3ヶ月で成果を出せる輸入物販物販の基本を学んでいただけます。

半年間で私が経験したような人生の変化を、追体験いただけるような内容にしています。

また、コンサルでは現在の私が持つ知識と経験の全てをご提供します。

 

決して楽な道のりではありませんでした。

今から思い返すと、過去の私はダメな自分を変えたくて必死だったのだと思います。

何も成果を出せない、ダメな自分を変えたくて必死だったのです。

 

  • 彼女がいない
  • 同級生は全員車を持っているのに、車も買えない
  • 毎日ジャムもつけない食パンだけでお腹を満たす
  • カッコいい服を着て、オシャレがしたいのにできない
  • 海外や国内の高級なホテルに泊まってみたい
  • 夜中に寒くて起きるのに、暖房をつけることに躊躇する
  • 好きな人とデートに行って奢ってあげたいけど、できない
  • バイト先で上司に理不尽に怒られる
  • お昼休みに外食に行けない
  • 夜中に空腹で起きる
  • 何をやっても失敗する

そんな自分を変えるため、本当に必死でした。

必死に、自分を変えるための努力をしました。

 

正直、辛いことばかりでした。

楽な道ではありませんでした。

少しづつしか成長できない自分に、毎日失望していました。

 

今まで自分がやってきた努力が無駄になる光景を、何度も見てきました。

周囲の友人と話が合わなくなることに、何よりも苦痛を感じていました。

一人でいることが、何よりも辛いことでした。

何をしても上手く行かない自分の価値を、何度も疑いました。

自分が積み上げてきたものを、捨てることもありました。

 

でも、どんな状況になっても、私は自分を変えようと進んできました。

何とか一歩一歩、泥だらけになりながら前進することができました。

 

3年間もがき続けた後、自分の強みを活かし、ビジネスをすることができるようになりました。

3年間もがき続けた後、お金の心配がない生活を送ることができるようになりました。

 

あなただけの強みが、きっとあるはずです。

私が好きな言葉の一つに、「Connecting the Dots(点と点を繋ぐ)」という言葉があります。

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で語った言葉です。

connecting the dots

 

400記事以上のブログは成果を出すことができませんでした。

2つの電子書籍の執筆は全く稼ぐことができませんでした。

100個以上のYoutube動画は成果を出すことができませんでした。

研究活動だけでは、成果を出すことができませんでした。

7ヶ月にも及ぶイベント参加での人脈作りは意味がありませんでした。

 

でも、輸入物販を経験し、これまでのマーケティングの知識を使ったところ、ようやく私だけの強みを見つけることができました。

ここに来てようやく、ブログ執筆も、電子書籍の執筆も、Youtubeの撮影も、全てが意味を持つようになったのです。

 

きっとあなたには、あなただけの強みがあるはずです。

あなたの過去の失敗は、あなただけの強みを作るための、大事な糧になるはずです。

そして私はそんなあなただけ強みを見つけ、支える存在でありたいと、心の底から思っています。

 

諦めてほしくない。もう一度チャレンジしてほしい。

私がこのページで伝えたいことは、ただ一つです。

「あともう一回チャレンジすれば成功できるのに、多くの人はあともう一回のところで諦めてしまう」

これだけです。

 

あともう一回だけで良いです。

もう一回だけで良いので、チャレンジをしてください。

そしてあなたの夢を、諦めないでください。

 

私もダメな自分を変えたくて必死でした。

何も報われない自分を変えたくて、必死にもがいてきました。

もがき続けた結果、輸入物販でやっと成果を出すことができました。

 

別にあなたの行動の選択が物販でなくても構いません。

この記事を読んで、私の挫折の連続を読んで、少しでも励まされる方がいたら、それで良いと思っています。

物販で学ぶビジネスの基礎は、他のビジネスで必ず活きてくるはずです。

 

皆さんの夢を支える存在になりたい。

自分でビジネスをするという重大な決断をした方の、力になりたい。

これが私の本音です。

 

どうかこの記事が、過去の私と同じように、苦しんでいる方のお役に立てることを願っています。

 

  • この記事を書いた人

しょち先生

物販で高利益なビジネスを実現するマーケティング&独立副業コーチ。21歳で物販ビジネスをはじめ、物販・ネットコンサルタントとして独立。副業から独立を目指す社会人を多数指導し、現在は高利益なビジネスを生み出すマーケティングの総合支援、副業支援を行う。ちなみに金沢大学の医大生。